「生活」と思いがけないこと
冒頭に4人で六甲山に遊びに行くシーンがある。神戸で忙しく暮らす30代後半の彼女たちが、つかの間の休日を過ごすのだが、ケーブルカーに乗っていた時は晴れ晴れとした天気で神戸の街を見下ろせるのに(4人を捉えたこの美しいショットはケーブルカーが上昇することも相まって、気持ちを高揚させる。運転していると思われる乗員も女性だ)、頂上に着くと彼女たちの周囲には靄がたちこめ、いかにも不吉で象徴的だ。まるで、下界と隔絶され地に足が着いていないとでも言うように。
次の約束をしようと、それぞれが手帳を取り出して自分の予定を言い合う。だがこれ以後、徐々に手帳の出番はなくなり、映画がすすむにつれ、平穏に思えた日常に「予定」など入るスキもないほど、思いがけないことに彼女たちは直面し始める。
「生活」という言葉は、「少し変えたい」とか「彩りを添える」などといった変化の誘いとともにしばしば広告などに使われるように思う。毎日同じことを繰り返す、隅々まで勝手知ったる我が場所が「生活」と捉えられることが多い。一方、「人生」という言葉は、あらたまった態度で自分を見直す、長いスパンで時間を捉え思い返すといった、内省的で時として「非日常」に関係した文脈で使われることが多いのではないか。英語を習い始めたころ、この二語を英語では LIFE と一語で表すのだと知り、驚いた覚えがある。そのことをこの「ハッピーアワー」を見ながら思い出した。

「生活」への意志
カメラは彼女たちの日常を丹念に追う。例えば、大量の洗濯物を干す「生活」の傍らで育まれていた欲望や、表面上なんの支障もなく一緒に暮らしを営んでいたという夫に対して、妻はまったく別のことを考えていたことを、また、日々の中の些細な見逃しやすれ違いが帳消しにはならず堆積していたことを余すところなく映す。暮らしのちょっとしたこと、気がつかないふりをしたことが、後々の大きな「人生」のうねりを成す。大したことではないと思っていたことがいかに大きな影響となるか、いかに「今」という短い瞬間が長い時間を作っているか。
同時に、身体にも変化が起こる。妊娠するものもあれば、骨折するものもあり、中絶するものもいれば、事故にあって瀕死の状態になるものもいる。本人も周囲も巻き込んで、いよいよ「生活」は大きくうねり「人生」の流れは蛇行するかに見える。
映画が終わるころ、彼女たちは冒頭の「予定」とは違う日常への企てをする。(それでも)日常を取り戻したい、という、いわば「生活」への意志を口にする。前と同じように遊びに行こう、と彼女たちは言い合う。一見、不幸な出来事や災難にみえる離婚話や事故をも変化への手がかりと捉えて、なお自分の「生活」へ回帰しようとする力を、新しい価値を手に入れる。ラスト近く、口をキッと結んで、まだ薄暗い夜明けの長い道のりを歩いて行く芙美の姿は、感動的ですらある。
これは単なる映画の中の出来事だろうか? 演技経験がなく、この映画を知るまで顔さえ見たことなかった彼女たちを、見終わるころには見ず知らずの他人とは考えられないくらいに近しく感じる。あなたがもし女性なら「あれは私でもおかしくない」と、あなたがもし男性なら「あの男性は自分かもしれない」と思ってしまうほど、今の私たちには身近で親密で切実な映画だ。
『ハッピーアワー』
2015年12月12日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開!
出演:田中幸恵、菊池葉月、三原麻衣子、川村りら、申芳夫、三浦博之、謝花喜天、柴田修兵、出村弘美、坂庄基、久貝亜美、田辺泰信、渋谷采郁、福永祥子、伊藤勇一郎、殿井歩、椎橋怜奈
監督:濱口竜介
脚本:はたのこうぼう(濱口竜介、野原位、高橋知由)
撮影:北川喜雄
音楽:阿部海太郎
照明 :秋山恵二郎
助監督:斗内秀和、高野徹
製作・配給 : 神戸ワークショップシネマプロジェクト(NEOPA,fictive)
special thanks:野瀬 範久、SASAKI Hideaki、奥野 弘幸、山田 ゆかり
藤島 順二、北川 喜信、野本 幸孝、金森 春樹
芹沢 高志、中山 英之、Silent Voice、坂本 一馬
SAITO Ayako、桜井 敬子、岡村 忠親、MASE Yukie
特別協力:デザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)
Gateway for Directors Japan
2015 / 日本 / カラー/ 317分 / 16:9 / HD
第68回ロカルノ国際映画祭最優秀女優賞受賞、脚本スペシャルメンション