新しい青春文学を発掘する『坊っちゃん文学賞』。第14回の大賞受賞作品『キラキラハシル』、作者の桐りんごさんの書きおろし小説『ほろほろ、卵焼き』のWEB連載です。
ほろほろ、卵焼き 第1回
ぱちぱちぱちっと小気味よい音を立てて、フライパンに流し込んだ卵はゆっくりと膨らんでいく。よく晴れた土曜日の朝、私は台所で卵焼きを作っていた。その卵焼きを作りながら、私はおばぁのことを思い出していた。
「雪ちゃん。これからおばぁと一緒にお出かけしようね!」
おばぁはよくそう言って、幼い私をいろいろな所へ連れて行ってくれた。今考えると幼い孫を引き連れて電車やバスで外出するということは、おばぁにとってとても難儀なことだったに違いない。足の悪いおばぁにとっては尚更だ。幼い私はそんな事情も知らず、普段歩いている距離を超えてしまうと、
「おばぁ、疲れたよ~。アイス食べたい!」
「おばぁ、足が痛いよ~。おんぶして!」
などと我が儘を言って、おばぁを困らせていた。そんな私に対して、おばぁは、
「はいはい。もうちょっと歩いたらアイス食べようね。足が痛くなったら、おばぁがおんぶしてあげるよ」
とにこにこ笑って、私の我が儘を聞いてくれた。私は、おばぁの笑顔が大好きだった。笑うと更に皺が増え、顔がくしゃっとなるおばぁの笑顔は向日葵のように明るく、稲穂のように凛としていた。
私には妹と弟が一人ずつ居たが、何故だかおばぁが一緒に連れ出すのは私一人だけだった。妹と弟は私よりも小さく、何かと面倒だったからかもしれない。だが、その状況は私が小学校四年生頃まで続いた。その頃になると妹も弟も手は掛からないはずなのだが…。あれから何十年も経ったというのに、未だに妹と弟は、
「おばぁは姉ちゃんばかり、いろんな所に連れて行ってたよね。ずるいよな!これは完全な贔屓だよね」
と、この話題になると膨れっ面になる。そんなことを言われても、私にだって理由は分からない。真相はおばぁのみぞ知るなのだ。
おばぁには美味しい物を食べさせてもらったり、好きな物を買ってもらったりもした。おばぁが買ってくれた物でよく覚えている物がある。それは幼稚園の入園式の時に着たドレスだ。私は昔からお姫様願望が強く、真っ白なドレスに憧れていた。その日、私は入園祝いにとおばぁにドレスを買ってもらった。ふんわりとした真っ白のドレスで、中心にハートのかわいいブローチが付いていた。そのドレスは一万円もした。当時の私はお金の価値がよく分かっておらず、理想のドレスを見つけることだけに没頭していた。年金暮らしのおばぁにとって、決して安い値段ではなかったはずだ。
「おばぁ、ありがとう!雪、すっごく嬉しい!このドレス、大切にするね!」
「はい、どういたしまして。雪ちゃんによく似合ってるよ」
そう言うと、おばぁの顔はくしゃっとなった。その日、私は幸せな気持ちで家に帰った。早速、私はおばぁに買ってもらったドレスを母に見せた。
「あら、かわいい!ん?一万円!何、このドレス一万円もするの?馬鹿じゃないの、あんたは!何で入園式で着る物に一万円もかけるのよ!全く、もう。さぁ、行くわよ」
母が私を怒る理由が全然分からなかった。訳も分からず母に言われるがまま付いていった場所は、そのドレスを買ったお店だった。
「ねぇ、これなんか良いんじゃないの?色もピンクでお花が付いてるし。値段もあのドレスの半分で済むし!ね!これにしなさい」
母が薦めたドレスは、私が気に入る物ではなかった。
「でも…雪、おばぁに買ってもらったドレスの方が良い…」
母の機嫌を損ねないように、小さな声でそう抵抗した。すると母の怒りが頂点に達した。
「いい加減にしなさい!おばぁに我が儘ばかり言ってあんたは!おばぁを困らせていることも分からないの?一万円っていうお金は大金なの。それなのに簡単に手に入るって思ったら駄目よ!良いわね、これにします」
そう言うと、母はおばぁに買ってもらった白いドレスを返品し、代わりにピンク色のドレスを購入した。私は目の前が真っ暗になった。
後日、おばぁの家に遊びに行った私は、その時のことを泣きながら話した。
「白いドレスの方が気に入ってたのに…勝手に他のに換えちゃったの…それにお母さんが『雪はおばぁを困らせている』って…雪、おばぁを困らせている悪い子かな?」
そう言うと、おばぁは私の目を真っ直ぐに見つめ返しこう言った。
「それは違う!雪ちゃんはおばぁを困らせてもいないし、悪い子でもない。それはお母さんの勘違いね。あのね、こう考えてみたらどう?これは良いチャンスだって」
「えっ?それ、どういうこと?」
「白いドレスは、誰か他の人からプレゼントされるってことかもしれないって!」
「誰か他の人?それって誰?」
「うふふ。おばぁは思うんだけど、それは雪ちゃんが将来結婚する相手かなって」
「えっ?それ本当?」
「おばぁはそう思うよ。ね!そう考えたらわくわくしてこない?今回選ばれたドレスがピンク色だったことには、ちゃんと意味があるの。だからお母さんを悪く思わないでね」
とやさしく諭してくれた。振り返って考えると、おばぁの懐の深さには脱帽する。そして、私はピンク色のドレスで入園式に臨んだ。